1か0かでしか語れない人たちの話
昨今、ネットを見ていると、物事や人のことを1か0かのような二者択一でしか捉えられない人々で溢れているように思います。
1か0かでしか捉えられないというのは、例えば〇〇さんは過去にAという考えを否定する発言をしていたから、この人は絶対にB側の人間であるというように決めつけるようなことを言います。
こういうのを見ると、とても悲しい気持ちになりますね。
世の中の事象というのは様々なものが入り組んだ複雑なものであり、AかBか、1か0、白か黒かのように、単純に判断することはとても困難である。
簡単化するためにエッセンスを抽出して二者択一の問題にすることはあったりすることはあっても、どちらがいいのかは時と場合によることが往々にしてある。
つまりは是々非々の視点で物事を判断することが重要であるが、自分はA側なんだから常にAを選ぶという考え方は非常に勿体ないし、その考えを他者に押し付け、それをもとに批判するのもまた卑しいと思う。
1か0かでしか語れないのは、ある意味で考えることを放棄しているのかもしれない。
答えは1か0でしかありえないという先入観を持っており、どちらか近い意見に乗っかるのが合理的であり、そのほうが楽だということなのかもしれない。
しかし、1と0のどちらも見当外れな意見である場合もありうるのが怖いところである。
それも、マスコミが放送している内容などにおいてはそういったことがよく見受けられ、どちらかが正しい答えだと思ったら実はどちらも間違っているなんてことになると、それを見ている視聴者は皆おかしな方向に誘導されてしまうのである。
そういったことのないよう、常に自分で考え、自分で判断するという心がけが大事であろう。
特に今のようなネット社会においては、探そうと思えば様々な情報を自分で集めることが出来るので、そういった情報を求め、自分なりに整理した上でどのような選択をするのが最良であるかといった情報収集力と判断力が非常に重要であろう。