満足と進歩
ふと思ったこと。
現状に満足している限り、人間は進歩しないんじゃないかと。
なんでこんなことを思ったかというと、ここ最近の日本の落ちぶれっぷりを取り上げるニュースなどをよく見かけるようになったなと思い、それはなんでだろうと考えたのがきっかけ。
実際のところ、昔と比べて日本の技術力の成長はかなり緩やかなものになっているんだろうし、水準もかつては勝っていた国に抜かれつつあるのかもしれない。
じゃあ、なんでこんなことになったんだろう。
そこで私が考えたのが、現状に対する満足感と新たなものに手を出すことによるリスク・リターンの大きさなんじゃないかなと。
日本に住む人の中で、どれだけの人が今の生活環境を不満に思っているだろうか。
最低限のお金があれば、蛇口をひねれば水やお湯が出てきて、スイッチを押せば電気がつき、テレビがつき、パソコンがつき、快適にネットができ、スマホで電話やゲームができ、移動手段も車や電車が浸透している。
ここまで来ると、大抵の場合は特に何不自由なく生活ができてしまいます。
じゃあこれ以上に何がいるのか。
正直、別にいらないかなぁってなってしまう気がしないでもない。
でもそれではだめだろうと思って新しいものに手を出そうにも、何も知らない分野に手を出すリスクはなかなかのもの。
日本って失敗に対してあまりにも厳しい見方をされるっていう風潮もあるし。
それに、折角新しいものに手を出したところで対して恩恵が得られない場合が大半だろうと思う。
そうなると、何かを作るにしても既存のものに新しい機能を付与したものばかりになってしまい、目新しいものは出て来なくなる。
でもそれを良しとしてしまっているんだろうなぁと。
でも技術力の向上のためにはトライアンドエラーは必ずつきものである。
これを何とかするためにはどうするか。
それは、目標と意志を持つこと。
おそらく、日本人の中で何かを目指して頑張っている人はそんなに多くはないだろうと思う。
二十歳を過ぎて、将来こんな人になってやろうとか、こんなことを実現してやろうなんて、一種の野望を抱く人があまりにも少ないと思う。
「心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる」っていう有名な名言があるけど、この考え方に基づけば、変わらない日々を送ってしまうがために進歩がないと考えられる。
やっぱり、こういうものを作りたい、とか、こういうものがあるといいな、とかを考えて、それを実際に実行するだけの強い意志を持つこと。
でもそのためにはやっぱりお金がどうしても必要な気がしないでもない。
お金が潤沢にあれば、まあ試しにやってみようだとか、そういう今の日本にない発想が出てきそう。
今若者が物を買わないのも、そんな自由に使えるお金がたくさんあるわけでもないし、今あるもので何とかなるし、だったらわざわざ高いお金出してまでものを買わなくていいだろうっていう発想がありそうな気がする。
というか自分がそういう考え方だし。
なんとなく書きなぐってみたけどどうなんだろうな。
いろんな要因が重なってこうなったと思うんだけど、その一つがこれなんじゃないかなぁと勝手に思いました。